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シンゴ・ヨシダ

松下和美 群馬県立館林美術館学芸員

シンゴ・ヨシダは、フランスで街の風景や人々と関わるパフォーマンスやインスタレーションによって表現を始め、近年はドイツのベルリンをベースにしながら、様々な場所へ身軽に移動してはその土地で見出した物事を写真や映像に収めて作品としている。

そんな彼が拾い上げるのは、あまり知られていない自然の姿、忘れられた伝説、あるいは日常の一片として素通りされる事象である。

例えば、チリの南端、パタゴニア近くの小さな島で宇宙人の伝説を探したり、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』へのオマージュとしてアイスランドの風景を取材したり、ブラジルのアマゾンのジャングルで森に生きる虫と人に付いて行ったり。それほど遠くに行かなくとも、ベルリンの駅に置き去りにされていたクマのぬいぐるみを見つけて、そこに超高速の映像を重ね、現代の都市生活における時間について言及したりもする。

 「大地に立って/空を見上げて/群馬県立館林美術館」 に出品される2点の映像作品も、我々を、非日常の旅へと連れて行ってくれる。《見えない旅路 Trajectoire invisible》は、フランス、ニースで、伝書鳩に小型カメラを取り付け、得られた映像を切り取って作られた。朝、街を飛び立った鳩は、仲間たちと共に、地上に近づいたり離れたりしながら旧市街を抜け、郊外の公園を越え、高度を上げて森の上を飛び、最後に夕日の射す山へと近づいていく。鳩が教えてくれるのは、上空から見た南フランスの街と山の純粋な美しさだけではない。境界などない、空という道無き世界を、ホームを目指して懸命に旅し続ける本能的な生命力である。アンビエントなサウンドを伴って詩的に表される彼らの旅の軌跡は、どこか人生にも重ね合わせられ、心動かされるのだ。

 

 《一日の終わり、そして、明日のはじまりThe end of day and beginning of the world》は、ロシア赤十字のチームと一緒に、極東ロシア、ベーリング海峡を通る経度180度の日付変更線付近を取材地とした映像作品である。小型飛行機の離陸音から始まる旅は、見る者を一気に氷雪に覆われたチュコト半島へと連れて行く。ただし、ここでヨシダが選んだのは、物語を作り込まない、ある種の静けさである。

息をするトナカイの皮膚の動きの次に、煮炊きの暖かい空気で揺れるトナカイの皮のテントがクローズアップされ、人々の昔の暮らしの写真、ワタリガラスの神話を語る本の挿絵、犬ぞりで撮影された揺れる風景、凍った地面に走るクレバス、近代的な建物の町並みまで、

すべてが等価に並べられる。ほとんどモノクロームと見えるくらい色味を抑え、コントラストを強めた画面に、飛行機のエンジン音と踊りの音楽を大きく響かせるという、少しだがインパクトのある演出を加えることで、映像に、表面上の情報以上の、厳しい自然への畏怖を持って暮らしてきた人々の歴史を語らせるのである。

 

 地図を見るとよく分かるのだが、ベーリング海峡は、ロシアのチュコト半島とアメリカのアラスカ州の間にあり、かつて人々は凍った海の上で両国を行き来していたと言う。この作品でもヨシダは、境界線に触れている――ただし、映像の最後で、手の上の羅針盤が180度の経度を示すだけである。現地で意味のあるものは、カレンダー上、地図上の線ではなく、自然と人の精神の交わりの証たる風景、幸運をもたらす神とされるワタリガラスに生き物の命を捧げて頂き、歌い、踊る人々の姿である。海を挟んだ隣のアラスカでも信じられているワタリガラスの神話に国境はない。

 自他を規定する属性やカテゴリーという境界への問いは、世界の様々な場所で表現を続けてきた作家ゆえに放たれるものであろう。

気温-40℃の土地であろうと、南米の奥深い森であろうと、大胆にも危険を顧みず、あらかじめ決め込まない旅を好む彼は、アクシデントをも受け入れ、そうして自身の直観で見出したものを、フィクションとノンフィクションの狭間で表現する。それは、ヨシダ自身の目と身体、

存在を確かめ証明する旅でもある。そして彼の作品を見る私たちも、日常から遠く離れた時空間の、人生や歴史を凝縮したような旅を共有し、見終わった時には、自らの立つ位置から見える当然と思っていた風景を見直すことになるだろう。

 

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